緑のコトノハ

いつか人間になるかもしれません。ならないかもしれません。

アーシングのつもり

ここのところ、ずっと日記を書けずにいた。(書かずにいた?)大して忙しい訳でもない。ただ書く気にならない。PCの前に座ってみても、スマホを握ってみても、文章が浮かんでこない。

日記はただ書き続けることにのみ意味があると思っていた。だから1日も切らさず続けてきたのだけれど、どうも潮時のようです。また毎日更新する時もあるかと思いますが、まずは最近の10日程をよく見かける箇条書きの形で記しておこうと思います。

 

・セルフジェルネイルにハマって週1ペースでネイルを変えている。自力で。左手の爪に右手でアートを描くことは楽しく、「ネイルサロンへ行ってきましたけど?」という表情を取り繕えるレベル程度には出来るのだけれど、逆は不可能なので彼にやってもらうか、まさかの自爪で過ごしている。両利きだったら良いのにと切実に感じる数週間であったし、この先もしばらくはそうだと思う。

 

・夏季賞与の時期。大きな期待は寄せていなかったものの、業績不振による大幅な減額には肩を落としてしまった。「貰えるだけいいのかもしれない」と現実をポジティブに変換していたら、同僚に「そんな甘いことを言っていては駄目です」とぴしゃり、叱られてしまった。なかったこととして日々を慎ましく生きていたとしても知らぬ間に消えて無くなるだろう。それくらい今回の夏季賞与は寸志程度だった。

 

・海へ行った。無論私は泳げないので浮き輪を使って沖でプカプカと浮いていたり、波打ち際で少し怖くなるような大きな波に乗っていたりしただけだった。身一つで足のつかない場所にも果敢に挑み、スイスイと目にも止まらぬ(全然止まる)スピードで泳ぐ彼は『海獣の子供』の海君のようだった。決して空君ではないので海君です。

アーシングのつもりで海に浸かり砂浜に埋めてもらったのだが、地球の引力若しくは太陽の熱波エネルギーにやられてしまって数日経過した今も身体が重怠い。それに加え、着用していたラッシュガードのせいでいつも手袋をしているみたいに日焼けしてしまっている。

何はともあれ彼の海洋に対する信頼感や泳ぎは見習いたいくらいに華麗なものであった。

 

・5月に購入し、ぐんぐん成長していたはずのサボテンが根腐れをおこしてあっという間に液化してしまった。無事だった子株に活力剤を与えて植え、再生をはかっているけれどまだどうなるか分からない。気が悪いと感じていた場所に置いていたサボテンだけが腐ってしまったので、植物とは意見、趣味嗜好が合うと思う。植物という命は素直で付き合いやすい。何度も謝罪し、彼と一緒に手を合わせて再生を祈った。息を吹き返すと信じている。

 

・先週、ひょんなことから2年前に出会った男性の存在を思い出すことがあり、それから折に触れてその男性のことを思い返している。男性が私と連絡をとる為のみに使用していたInstagramのアカウントを調べてみると、そのアカウントはまだ存在していたし、ログイン歴の痕跡も感じられた。驚くなかれ、私はあの人が幸せな家族を築いていることを心から願っている。

 

・姉の誕生日があった。ケーキを買って実家へ帰り、ささやかなお祝いをした。30代になった姉は少し落ち着いたように見えた。

 

・このところ、突然に自分の子が欲しくなっている。これまでにも同様な気持ちを抱いた事はあるが、いずれも“この人の”子が欲しい、と条件付きのそれであった。今回は様相が異なっている。とにかく子が欲しい。孕むという神秘を体験したいだけで、以後20年程の子育てが視野に入り切っていると自信を持って言うことはできない。それでも子が欲しい。「愛で飯は食えない」と彼に啖呵を切った事もあるが、私が子に与えられるものは愛しか保証できない。それでも間違いなく子が欲しいと思っている。そしてこの衝動に似た気持ちは儚いものであると知っている。