緑のコトノハ

いつか人間になるかもしれません。ならないかもしれません。

2022/02/25

6時半、7時のアラームが鳴り、20分くらいまでベッドの中でダラダラした後に起きる。身支度を先に終え、グラノーラに豆乳をかけた朝食をいただく。彼が淹れて飲んでいた珈琲もひと口貰った。

8時20分頃彼の家を出た。雪が車の上に降り積もっているのを下ろしながら、昨夜までのことを脳内で振り返っていた。

セブンで昼食と珈琲を買って出勤。

9〜18時、仕事。メルマガを配信予約して、新たに取り掛かったり、全く関係のないネットサーフィンをしたりしていたら終わったと思う。お昼は厚焼き卵のサンドイッチにチョコレートのかかったバームクーヘンを食べた。

17時くらいにMさんとお手洗いで鉢合わす。昨日から指にゴールドの結婚指輪が見えて、あ、と思っていたので「Mさんはもしかして、もうMさんではないんですか?」と問うと、「あ、これからもMでやっていきます、面倒なので」と答えてくれ、そこから30分以上立ち話していた。恋愛観や結婚観について話し、自分の思う”好き”と他人の其れには雲泥の差がある、という至極当然ともとれる意外な事実が判明した。Mさん的に、それは(自分は彼のことを)好きですよ、らしい。そういうことなら自分は皆のことが好きだ。Mさんと話したことで、大概の人は概ね、思考することに何処かで見切りをつけて生活を続行すること、次世代を育成することに注力するのだ、と再確認した。世間に対して紙面上で契約を交わしたと証明し、意図しない名称に変わったり、大金をはたいて薬指に金属片を光らせたりしてまで子が欲しい、その全てが不思議でならない。”此の人の”子が欲しい、で結婚するのであればすんなりと理解ができるけれど、どうやらそうでもないらしい。ノリだ、と。そのノリには不思議の全てを遂行してしまえる何かがあるのだろう。このように立ち止まっていたら何時までたっても生きることに馴染めないのかもしれない。

帰り道、車を運転しながら考えていた。自分という主体(肉体とも言える)を持って特定の誰かとお付き合いをしていると、徐々にその形が自分の内でスタンダードになっていき、これはあくまで固有・特有のものであるとの意識も薄れてしまう。Iが頭に浮かんだ。

19時頃帰宅。次女、姪、義兄が来ている。久しぶりに次女の方の義兄が家に来ているのを見た。夕食は唐揚げと天ぷらにサラダや、大根を細切りにしたものを煮たおかずなど。

唐揚げが好きな彼に連絡すると、仕事終わりに食べに来ることになったので、お風呂に入ってしまった。姪の頭や身体を洗う。可愛い。

次女家族が帰っていった21時過ぎ、スキンケアを終えた頃に彼がやってきた。母が彼に「昨夜はお騒がせして、、、」と言うと、彼は「(ほんとに)ねぇ~?」と返していた。妹は「ちゃんと(彼に)おもてなししてあげて?」と口を挟んでくる。その空気感で彼にお茶を出したり箸を用意したりしているのが何か嫌だった。

彼がご飯を食べ終えて、妹と彼が少し話した後アイスを食べてから自室へ行く。一昨年Hさんが僕は持って帰れないので、と置いていった避妊具があったのでそれを使った。

23時過ぎ、明日朝が早い彼を帰す。自分も眠くて仕方が無く、歯磨きをしてすぐに寝てしまった。