緑のコトノハ

いつか人間になるかもしれません。ならないかもしれません。

遅咲き

2021年9月27日月曜日

 

7時起床。隠居バイブスの目覚め。

朝から隠居したくなってしまってる、尊敬申し上げる大原扁理氏のように生きたいもの。自分がそうなるのは時間の問題な気もする。

朝食にバナナを食べた直後から胃痛が始まり、小さい頃から完全にアテにしている漢方の胃薬を飲む。

おにぎりを1つ作ってさっさと身支度をし、早めに家を出た。

 

ローソンに寄り、オレンジジュースとチョコのかかった全粒粉ビスケットを購入。珈琲が飲みたい気もしたが胃痛を思い、やめておいた。

 

車を停めて事務所まで歩いている時くらいから胃痛に加えて胸痛まででてきたねぇ、オッケーオッケー、と他人事のように感じていた。

 

9時始業。

妊婦健診で休みのはずの姉が休日の装いで事務所に来て、自分にプリンを差し入れてくれる。やったー!2日見ていないだけなのにまたお腹が大きくなっているように感じた。

 

胃痛と胸痛が少しずつひどくなってきて、比喩ではなく胸が苦しくなってフリーズする時が2、3度あった。マスク、外しちゃいけませんかね.........?

 

12時昼休憩。

おにぎり1個、プリン、ビスケット数枚。

食後友人Yちゃんから連絡が来て、「ここだけの話...」と打ち明け話をしてくれる。7月に会った時に実はYちゃんに何かしらあったのでは?と直感で思っていただけに、今の今まで誰にも言わずにいたのか...とYちゃんの強さを思った。

 

13時休憩終了。

朝買ったオレンジジュースを飲みながらメルマガの為の下調べ、テキストの作成などする。オレンジジュースはファミマに限る、という揺るがない定理がここに生まれました。

 

作業中はたと、ここ数日の自分は自ら事を好ましくない方へと導いていないか、ユーモアを忘れてはいないか、と気づく。

意識に余裕を持たせる癖づけが必要。繰り返し行えばやがて無意識部分にも作用してくれよう。無意識を味方につければ全ては此方のもの。敬愛なるジークムント・フロイト氏が100年以上前に仰っているんだから間違いない。

 

山の稜線にかかるオレンジの日を眺めるのが趣味で、いつも17時半過ぎにお手洗いへと席を立つのだが、今日はなんだかいつもより日が落ちるのが早く感じた。

こんな景色を大好きな人たちと眺めつつ、ここで一句、と遊んだりして、あとはおいしいもの食べて、たくさん寝るだけの毎日を過ごせたらなぁと思った。その世界線、つくりたいですね。ね、みなさん。

 

18時終業、そそくさと退勤。

 

18時半過ぎ、帰宅してから夕食までは読書していた。

父が母と笑いあいながら一緒に手分けして夕食の配膳をする姿を見て、なんて素敵なおしどり夫婦なんだろう…いいなぁ、と我が親なのに、他人目線で見ている自分に気がついた。お前も手伝え。

 

19時夕食。トンテキ、付け合わせの野菜、きんぴら、白米。トンテキにはハーブ塩をふりかけ、山葵を添えて食べていたら、父もちらちらと此方を伺いながら同じように食べ、うんうんと納得したように頷いていた。

妹が帰宅していないことを母から聞く。昨日の今日なので自分が原因の1つだろうと思った。

 

食後すぐに入浴。

妹のことでまたしても脳に靄がかかる感覚が出始め、他人からの的を得た意見で払拭したくなってしまい、ある方に一報連絡を入れる。

 

20時頃、通話で返してくれ話し始めるも、すぐに今の状況下の相談相手には相応しくないという空気を感じとる。あちらもそれに気づいていることが分かり、少し話した後に気をまわしていただいて早めに通話を切り上げた。見切り発車は以後慎みたい。

 

居間へ行き、TVを観ている両親から梨を勧められて食べる。

やはりTVを観るという時間の過ごし方が肌に合わず、応接間で1人日記をつけたり読書したりしていると、昨日通話で話を聞いてもらったばかりのデザイナーのYさんから通話の伺いを立てるLINEが入っている。

 

自室へ移動し、21時頃から23時前までYさんと通話。

Yさんは明るくてよく笑う、と思った。風貌や醸し出す雰囲気(雑誌『ポパイ』の生き写し的な)が一見チャラっとした印象を与えるものの、思慮深さとオプティミスティックな面も兼ね備えており、理想的な相談相手、といった感じ。

急転直下型ではない日進月歩的な方法で”家を出て自活しましょう”と結論付けて、YさんのWi-Fiの容態が急変したこともあり通話を終えた。

 

寝支度をして、通話の余韻からしばらくこれからの人生について考えていた。

刺激的で間に合わせのものに対する興味は失われつつあり、緩やかで堅実なものに惹かれ始めている。そうは思いつつも、この人体自身が仮初めのものであるし、生きることは総じて危なっかしいのも事実。それでも胆力を鍛えて、しかとこの世を見つめ続け、いつ終わるか知れない命を全うするしかない。「人生」「命」とか壮大なことを言わずとも、日々の生活に起こること全てに意味があるのであれば(なくても)、それを”味わう”心を持ち合わせていたい。

落ち着いた思考にだんだん移り変わっていることを自覚する。大人って悪くないねぇと、若干陶酔気味ではあるが気分が凪いできていることを嬉しく思って23時半頃消灯。