緑のコトノハ

いつか人間になるかもしれません。ならないかもしれません。

声明

2021年9月26日日曜日

 

※今日のこの記事はほとんど日記とは言えない備忘録も兼ねたはきだめである。

 

0時から3時頃までYさんと通話していた。

長話でも聞いてくれると言うものだから、ホルモンと共に自分の精神に多大な影響を与えている先日の事について話すことになった。

midokoto.hatenablog.com

 

何度でも思い知るのは、この件が自身に与えた影響ははかり知れないほどに大きい、他人が何と言おうが、ということ。今回のような事は自分と妹の間で形を変えて何度も起きてきたわけで、今回何かしらの境界線を跨いだのだと思う。どちらが良い悪いの話ではない、構造は複雑だが表層は単純明快、フツーに我慢の限界。

1度Twitterのアカウントを作り直してはどうか、とか、何も気にせず気丈に振る舞ってはどうか、とかいう提案をされ、その発想がなかった自分は、世の中には様々な考え方があるんだなぁと、平凡なことを思っていた。

ほか、愛好心と言うのは移り変わるものだし世は沢山の素晴らしいもので溢れている、や、それでも今の想いは大切だから妹さんへしっかり伝えるべきだ、などのアドバイス。くだらないと言わず真摯に向き合ってくれているからこその言葉達。なんてこったい。

話を聞いてもらったから即解決ということは当然ない。ただ、何にでも共通して言えることだけれど、何かしら問題が起きた時、その渦中で当人同士話し合っても、どちらに過失があるか、など余計拗れるような話になる場合が多い。そこは一旦置いておいて、第三者の視点からの意見をもらうことは、一度冷静になる為にもとても大切なことなんだと思った。その点でYさんの存在は本当に有難いものだと感じた。

 

9時半起床。バナナ、姉が仕事先で作ったパン、飲むヨーグルト。

 

朝の時点では沢山話したことでいくらか気が楽になっていて、シャワーを浴びてさらに気分をスッキリさせた。

 

日記を書いたり身支度をしたりする。

気持ちを切り替えて妹に午後からカラオケを、と誘っていた。


12時過ぎ、自室で身支度中に突然ハッとあることに気づく。自身でも理解できていなかった胸中の未開部分に説明がつき、それがとても腑に落ちるものであった。(この気づきが合っているか確かめるために『マグダラのマリア』という映画を見直さなければならない。)今言えるのは、思考様式としての”信仰”は人を救う面もあるが、それはあくまで個人的なものである場合によるということ、個人的な”信仰”は尊く美しい反面、危うく、慎重な取り扱いが必要ということ。

そんなことを思い耽っていたら、隣家から読経が聞こえてくる。タイミングよ。

 

13時頃家を出て、記帳など済ませ、妹とコートダジュールで待ち合わせ。

 

14時頃から18時まで歌う。機種を指定したらだだっぴろい部屋に通された。小さなステージもあり、以前より他言せずいた演劇やダンスへの関心が強まる。

 

帰宅途中、カラオケ中に食べたソフトクリームとポテトでおなかをくだし、腹痛で最悪だった。

 

19時前帰宅、夕食。おなかのピーピが止まらず、きんぴらごぼうと茄子の煮びたしだけ食べる。

食後すぐ20時半過ぎまで長風呂をする。

 

21時前ビールを飲みつつ、爪熔けにけり。ここからがいけなかった、と思う。妹のガラスやすりを借りたために、どちらからともなく妹と会話が始まる。しばらくはもう先日の件について話をしたくなかったが、それまでは此方から聞いても認めなかったり話さなかったりした事について妹の方から口を開き始めたために、掘り下げる羽目になる。23時過ぎまで誠心誠意話し込み、状況は好転したはずなのに最終的には気分が最悪になっていた。

自分の見ている世界が内面を映し出す鏡であるとするならば…と考え始めると、もう色々なことが嫌になってしまった。こればかりは他人に相談したところで答えは自分の中にすでにある。自分を取り巻く環境を徐々に変えていこうと決意する。

 

山深く視界に緑の多い静かな場所で、あたたかな人たちと穏やかな関係を築きながら清潔な暮らしができたらいい、そのうち。それが近い将来だと尚いい。実現するため、行動と思考を整えていこう。

 

0時頃、眠って脳を休めることが必要だ、と明かりを消して目を瞑った。